
朝ドラあんぱん第27話では、のぶの挑戦と葛藤が光る体育大会志願シーンから始まり、黒井先生の教育理念と“修君愛国”の重みが彼女に立ちはだかります。一方、東京では嵩が直面する才能の壁と自我の揺れが描かれ、芸術と自由、嵩が見た東京の“解放区”としての姿が浮かび上がります。謎めく図案科の歌と若者たちの自由を象徴する場面や、教師たちの個性と教育観の対比も鮮明に描かれ、戦争の影と青春のきらめきの交錯が物語全体に深みを加えます。また、高知では豪の入隊と蘭子の想いが交錯する夕暮れが印象的に描かれ、のぶの「ただ走りたい」という言葉が視聴者に現代的な問いを投げかける回となっています。この記事では、そんな朝ドラあんぱん第27話の見どころを多角的に掘り下げていきます。
- のぶの体育大会志願とその挫折の背景
- 黒井先生の教育方針と時代の価値観
- 嵩が芸術学校で感じた才能の壁と自由の象徴
- 豪の入隊による青春と別れの感情の交差
朝ドラあんぱん第27話に描かれた成長と決断

のぶの挑戦と葛藤が光る体育大会志願シーン
第27話の冒頭、高知の女子師範学校では、のぶ(今田美桜)が初めて自分の意志を声に出す場面が描かれました。のぶは朝礼の場で、秋に開催される県主催の体育大会への出場を志願します。彼女の言葉はシンプルでした。「ただ走りたいき」。子どもの頃から自然に走ることが好きだったという素直な気持ちを伝えます。
しかし、この“素直さ”は、教師・黒井雪子(瀧内公美)には届きませんでした。黒井は、志願理由として「女子師範の名誉」や「修君愛国の精神」を掲げられないのぶに対し、「その辺の野原でも走っていればよろしい」と冷たく却下します。言葉を選びきれなかったのぶは、仲間たちに慰められるものの、胸に深い悔しさを抱きます。
のぶの成長物語において、このシーンは重要な分岐点となります。彼女は過去にもパン食い競争で力を発揮し、「走る」ことが自分らしさの表現手段でもありました。しかし、今回は“なぜ走りたいのか”という問いに答えきれなかった――その未熟さと向き合うことになります。行動力だけでなく、言葉と覚悟が問われる段階にのぶが差しかかっていることを、この一場面が象徴しています。
黒井先生の教育理念と“修君愛国”の重み
体育大会志願を却下されたのぶに対して、黒井先生が突きつけたのは、「修君愛国」という理念でした。この言葉は第27話を通じて、黒井の教育方針の根底にある価値観として何度も繰り返されます。
黒井は、生徒たちに対し「教師こそが規範であり、女子は銃後を守る存在」と説きます。盧溝橋事件の再燃という緊張が高まる時代背景の中で、彼女は「今こそ“修君愛国”の精神を肝に銘じなさい」と強く訴えました。のぶ一人への叱責ではなく、教室全体に向けた厳粛な言葉です。
黒井の姿勢は決して感情的な否定ではなく、時代を背負った教育者としての信念に基づいています。しかし、その硬質な教育観が、のぶのような柔らかい個性を持つ生徒には重くのしかかりもします。自由な意志よりも、国家や学校の名誉を優先することが求められる教育現場。教師としての黒井の厳格さと、生徒の内なる自由の衝突が、本話の一つの軸として描かれました。
嵩が直面する才能の壁と自我の揺れ
一方、東京の芸術学校では、柳井嵩(北村匠海)の物語が大きく揺れ動いていました。彼はデッサンの授業で、同級生の作品を目にします。圧倒的な画力の前に、嵩は自分のスケッチが「硬い」と指摘されると、筆が止まってしまいます。
仲間からは「天才」と囁かれるその生徒ですが、本人は「こんなもんじゃないです」と作品を否定する様子を見せ、嵩はその背中に一層の衝撃を受けます。これまで“努力”で勝ち取ってきた嵩にとって、“才能”の差を突きつけられた瞬間でした。
この回では、嵩が「どうしたらあんな絵が描けるんだろう」と呟く場面が象徴的です。自分の限界を知り、深く落ち込む姿が描かれましたが、まだ彼は立ち止まってはいません。周囲の刺激に圧されながらも、学びへの渇望を抱き直す一歩前の揺らぎの時間――それが今の嵩です。
嵩の内面の揺れは、今後の成長や再挑戦への伏線とも言える重要な感情描写です。仲間の才能を目の当たりにし、自らの殻をどう破るか。嵩の挑戦は、芸術と向き合う若者すべてに通じる普遍的な物語でもあります。
謎めく図案科の歌と若者たちの自由
東京・図案科の放課後、学生たちは銀座の喫茶店でひとときの開放感を味わいます。そこに響き渡ったのが、意味不明で奇妙な響きを持つ「図案科の歌」でした。歌詞は「わさわさ わさり の もちきり の…」と始まり、意味を成さない単語が連なるナンセンスな構成。だが、その“意味のなさ”こそが、この歌の象徴する自由でした。
座間晴斗(山寺宏一)教師は、「難しい理屈なんて茶化してしまえ」「自由に生きよ」と言い放ち、嵩や周囲の学生たちに笑いと高揚をもたらします。生徒がギターを取り出し、即興でこの歌を合唱する様子は、芸術学校ならではのユニークな風景です。
しかし、その自由は絶対的なものではありません。軍服の客が「ふざけた歌はやめろ」と声を荒げ、店内の空気が一変します。それに対して、座間は「我が校の残歌で歌い継がれた名曲だ」と返し、学生たちは笑いながら歌い続けます。
このシーンは、若者たちが束の間の自由をどう楽しみ、守ろうとするかを象徴的に描いています。一見ふざけた騒ぎのようでいて、その裏には“言葉にできない不安”や“時代への抵抗”が漂っています。芸術の場だからこそ許される自由の形――それが、謎めいた「図案科の歌」に込められた真のメッセージなのかもしれません。
豪の入隊と蘭子の想いが交錯する夕暮れ
舞台は再び高知、朝田家のパン工房へ。のぶ(今田美桜)の幼なじみ・豪(細田佳央太)が、徴兵検査の合格を報告する場面から物語は進みます。満面の笑みで「ご奉公できますき」と語る豪に、朝田家の家族たちは「おめでとう」と声をかけますが、その場にいた蘭子(河合優実)は言葉を失います。
豪はすでに両親を亡くしており、足摺岬にひとり暮らす祖母を訪ねたのち、戦地へ向かうことになります。その覚悟の重さと、それでも普段通りに仕事をこなそうとする姿勢が、彼の内なる強さを表しています。
蘭子は以前から豪に想いを寄せてきましたが、その想いを伝えられぬまま、出征という現実が彼女に迫ってきます。のぶは「総合会でも開いちゃりたい」と提案しますが、蘭子の気持ちは揺れています。「好きな人がいるって言いよった」という言葉に反応する様子からも、彼女の心の内が伝わってきます。
このシーンでは、戦争という大きな時代の流れの中で、若者たちがどう生き、どう別れに向き合うかが静かに描かれました。恋心、友情、家族との絆――それぞれが交差し、夕暮れの空気の中で複雑に重なり合います。蘭子の想いは、この先どのように物語を動かしていくのでしょうか。今はただ、その静かな揺らぎに寄り添うことしかできません。
朝ドラあんぱん第27話を深掘りする多層的視点

芸術と自由、嵩が見た東京の“解放区”
柳井嵩(北村匠海)が進学した東京高等芸術学校の図案科は、まさに芸術と自由の“解放区”とも言える空間です。第27話では、嵩が仲間たちと訪れた銀座の喫茶店で、謎めいた「図案科の歌」を通じて、その独特な文化と価値観に触れる様子が描かれました。
座間晴斗(山寺宏一)先生がギターを手に取り、生徒たちが無意味な言葉を連ねて歌い合う――それは、常識や規律を一度脱ぎ捨て、自分の感性だけで表現を楽しむ時間。嵩にとって、それは高知では決して体験できなかった解放のひとときでした。
嵩はこの自由な雰囲気の中で、健太郎の圧倒的な才能に打ちのめされながらも、少しずつ「自分らしい表現とは何か」を模索していきます。「意味がわからない」と笑う嵩に、座間は「自由ってことだ」と言います。このやり取りに、芸術が持つ本質的な自由と挑戦が詰まっています。
芸術学校という場所は、嵩にとって“競争の場”であると同時に、“自分を許せる空間”でもあります。正解のない世界で、自らの言葉や表現を探すこと。それこそが、彼にとっての“自由”への入り口なのです。
教師たちの個性と教育観の対比
第27話では、黒井雪子(瀧内公美)と座間晴斗(山寺宏一)という、対照的な二人の教師の姿が鮮明に描かれました。それぞれが異なる場所で教育に向き合いながら、生徒たちに大きな影響を与えています。
黒井は、戦時色が濃くなっていく社会の中で、女子教育に厳格な「修君愛国」の精神を持ち込みます。のぶの体育大会志願に対しても、「女子師範の名誉」を理由に掲げられないなら許可できないと断じました。彼女にとって教育とは、国家と学校の理念に生徒を沿わせる行為であり、個人の願いはその枠内で認められるものです。
一方で、東京の座間はまるで正反対の姿勢を貫いています。芸術の現場において、彼は自由を肯定し、意味のない歌を通して“自分で考え、感じること”の大切さを伝えます。「難しい理屈なんて茶化してしまえ」という言葉には、枠に縛られない教育哲学がにじんでいます。
この対比は、時代と地域、そして教育のあり方そのものに対する問いを投げかけます。規律を重んじる黒井と、自由を促す座間。どちらが正しいということではなく、今の日本が置かれた状況が、両者の存在を生み出しているのです。それぞれの教師の在り方が、のぶや嵩とどう関わっていくのか――物語の核心に迫るテーマでもあります。
戦争の影と青春のきらめきの交錯
第27話では、青春の自由と戦時下の不穏な現実が、鮮やかな対比で描かれました。高知でも東京でも、登場人物たちはそれぞれの“今”を懸命に生きていますが、その日常に静かに忍び寄るのが“戦争の影”です。
高知では、ラジオから「盧溝橋事件」の再燃とシナ軍の撤退が伝えられ、黒井先生(瀧内公美)は女子生徒たちに「女子は銃後を守るべき存在」と訓示します。これは、純粋に「走りたい」と願ったのぶ(今田美桜)の想いに冷水を浴びせるものでした。
一方東京では、図案科の学生たちが銀座で「図案科の歌」を大合唱し、一瞬の高揚を味わう姿が映されます。しかし、そこにも軍服姿の客の怒声が割り込み、若者たちの自由は簡単に揺さぶられることを突きつけられます。
また、豪(細田佳央太)の入隊決定という現実が、家族や仲間たちの喜びと不安を入り混ぜた空気に変えていきます。蘭子(河合優実)は複雑な想いを胸に秘めながら、彼の決意を見つめていました。
戦争という大きな流れの中で、それでも若者たちは笑い、歌い、走ろうとします。その姿はまさに、青春のきらめきそのもの。しかし同時に、確実に押し寄せる“時代の波”が、それを呑み込もうとする――そんな緊張感と儚さが同時に描かれた回でした。
「ただ走りたい」が問う現代へのメッセージ
のぶが体育大会への出場を志願し、黒井先生から「ただ走りたいでは足りない」と却下された場面は、第27話の核心とも言えるシーンでした。「ただ走りたい」という言葉は、まっすぐで飾り気のないのぶの本音。しかし、それが通用しない時代背景が、この物語の舞台にはあります。
黒井は、名誉と国家への忠誠を前提に志願理由を問います。それに対してのぶは、自分の感情と向き合う言葉をまだ持っていません。彼女の沈黙と悔し涙には、個人の自由と国家の要求がぶつかる現場がにじんでいます。
この「ただ走りたい」という一言は、現代の私たちにも問いを投げかけます。やりたいことを「ただやりたい」と言って、どこまで許されるのか。理由を求められた時、それは合理的な説明でなければならないのか――。のぶが味わった挫折は、現代に生きる私たちの自己表現や自由にもつながる課題です。
だからこそ、この言葉が重く響くのです。走る理由がなくても、夢を語る資格がある。のぶのこの一言は、これからの彼女自身の変化と、視聴者への静かな問いかけの両方として、物語の中で長く残る印象的なメッセージとなりました。
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