
朝ドラカムカムエヴリバディ第97話では、三世代をつなぐ「On the Sunny Side of the Street」をはじめとする音楽や英語、ラジオが物語に深い余韻を与えました。るいと錠一郎がたどる岡山への旅では、親子の記憶と向き合う神社の場面や、安子と稔の面影に触れる感動的なエピソードが描かれ、視聴者の心に静かに響きます。「アメリカに行きたい」に込められたるいの決意は、家族の絆と未来への希望を象徴し、物語に大きな転機をもたらしました。また、英語講座を通じて紡がれる平和と再生のメッセージ、そしてひなたに訪れた転機や平川唯一との出会いが、学び直しへの一歩を感じさせる展開となっています。戦後の時代を映す辞書と白パンの象徴性や、キャストが織り成す重層的な演技の厚みにも注目したい第97話。その見どころを丁寧に振り返ります。
- 第97話で描かれる親子三世代のつながりと象徴的な楽曲の意味
- るいの「アメリカに行きたい」という決意に込められた背景
- 英語講座やラジオが担う希望と再生の役割
- 平川唯一との出会いがひなたに与えた影響と学び
朝ドラカムカムエヴリバディ第97話の魅力とは

三世代をつなぐ「On the Sunny Side of the Street」
第97話の中で印象的に流れた「On the Sunny Side of the Street」は、ドラマ『カムカムエヴリバディ』において、親子三世代を結ぶ象徴的な楽曲として大きな意味を持ちます。
この日、るいと錠一郎は岡山のジャズ喫茶「Dippermouth Blues」を訪れ、かつてマスターだった定一の息子・健一と再会します。その店内に流れるこのジャズの名曲は、るいの両親、特に母・安子と父・稔の思い出に深く結びついたもの。るいが母に対する記憶や感情を胸の奥でそっと再確認するきっかけとなります。
この楽曲は、かつて稔が安子と共有した特別な曲であり、後にるいの子守唄にもなった重要な存在。時を超え、場所を超えて同じメロディが響くことで、親から子へ、そして孫へと続く感情のリレーが表現されます。
一つの楽曲が家族の記憶と愛情を紡ぎ、視聴者にも静かに感動を与える場面でした。
英語とラジオが紡ぐ希望のメッセージ
第97話のもう一つの軸となったのが、「英語」と「ラジオ」が持つ力です。この日、ひなたは雉真家で「カムカム英語」のテキストを見つけ、懐かしさとともに手に取ります。そこに現れた初老の男性との会話、さらに彼の口から流れるような英語の語りが、物語の深層に新たな光を当てました。
ラジオから響いたのは、まるで語りかけるような温かい英語。「無理をせず、一日一日と覚えていけばいい」という平和で力強いメッセージは、戦後を生きた安子や、葛藤を抱えるるいに通じ、今まさに英語学習に悩むひなたにも届くものでした。
このシーンでは、単なる語学の習得を超え、ラジオを通じて“人生を前向きに生きる力”が伝えられていることがわかります。かつての世代が歩んだ道を、ひなたが今たどり直そうとしている。その連なりに、希望の灯がともった瞬間です。
「アメリカに行きたい」に込められた決意
物語の終盤、るいが口にした「アメリカに行きたい」という言葉は、過去と未来をつなぐ決意の象徴として強い印象を残しました。
訪れた神社で、るいは安子が残した辞書に触れます。それは、安子が英語を学び、生き抜いてきた証でもあります。過去の出来事に向き合う中で、るいはこれまで目をそらしてきた母との関係と真正面から向き合う覚悟を固めていきます。
神社で語られる父・稔の思い、「どこの国とも自由に行き来できる世界を生きてほしい」という願い。るいはその思いを胸に、母がなぜ姿を消したのか、自分が本当に知るべき過去とは何なのかを探す旅に出ようとします。
「アメリカに行きたい」は単なる旅ではなく、自身のルーツと和解し、未来へ踏み出す強い意志を表すひと言。この瞬間こそ、第97話の最大の転機であり、るいの人生が大きく動き出す第一歩でした。
平川唯一との出会いが示す新たな学び
第97話でひなたが出会った見知らぬ初老の男性。この人物とのやりとりは、物語にとっても、ひなた自身にとっても、意味深い転機となりました。彼はかつてのNHK英語講座の講師・平川唯一である可能性が高く、その穏やかな語り口と深い英語の知識は、視聴者に懐かしさと温かさをもたらします。
ひなたは英語に対して苦手意識を持っていました。「何をしても話せるようにならない」という焦りの中で、彼の言葉——「英語の赤ちゃん」という比喩——に出会います。それは、かつて母・るいや祖母・安子も直面してきた壁と同じもの。彼の「無理せず、一日一日を大切に覚えていけばよい」という言葉は、ひなたの心をゆっくりとほぐしていきます。
また、ラジオから流れる優しい英語の朗読は、彼が戦後に日本を元気づけようとした情熱と重なり、ひなたにとっては「学ぶことの意味」を見つめ直すきっかけとなりました。
このエピソードは、単に過去の偉人との邂逅ではなく、「英語を学ぶこと」や「自分自身を受け入れること」の大切さを今の世代に再提示する、静かで力強いシーンとなっています。
親子の記憶をたどる、るいと錠一郎の旅
物語が静かに、しかし深く動いた第97話。るいと錠一郎の岡山への旅は、単なる里帰りではなく、親子の記憶を手繰るための心の旅でした。
まず訪れたのは、ジャズ喫茶「Dippermouth Blues」。ここで、かつてのマスター・定一の息子・健一と再会します。るいが店内で聴いた「On the Sunny Side of the Street」は、父・稔が母・安子に贈った大切な曲。この音楽に触れたるいは、母とのつながりを感覚的に取り戻すような表情を見せます。
その後、2人は稔と安子が思い出を重ねた神社へ足を運びます。るいはそこで、母が残した英語の辞書を手に取り、その存在の重みを実感。辞書は、安子が戦後の混乱の中で生きるために必死に勉強した「証」であり、るいがその想いを今ようやく受け取った瞬間でもありました。
この旅は、るいがこれまで拒絶してきた「母との記憶」と、父が託した未来への思いを再び自分の中に受け入れるための重要なプロセスとなります。そして錠一郎が寄り添うことで、るいの心の整理と、新たな決意の場が静かに整えられていきました。
家族の記憶をめぐるこの旅は、視聴者にも親子の関係や過去との向き合い方を問いかける、温かくも切ない時間でした。
朝ドラカムカムエヴリバディ第97話を深掘り考察!

ひなたに訪れた転機と学び直しの兆し
第97話で描かれたひなたのシーンは、彼女にとっての“新たなスタート”を感じさせるものでした。舞台は雉真家。かつて母・るいや祖母・安子が大切にしていた「カムカム英語」のテキストを手にしたことで、彼女の中で何かが動き始めます。
窓の外から声をかけてきた初老の男性とのやり取りも、ひなたにとって決して偶然ではなかったように描かれています。彼の語る「英語の赤ちゃん」という言葉や、「無理せず、急がず、自然に覚えればよい」というメッセージは、ひなたがこれまで感じていた“できない焦り”を静かに和らげました。
英語学習に対する挫折感や諦めは、多くの視聴者にも共感を呼ぶもの。そのなかで、ひなたの姿勢が少しずつ前向きに変わっていく兆しは、物語の転機として大きな意味を持っています。
このシーンは、英語というテーマを通じて、過去と現在、そして未来が繋がっていく象徴的な瞬間でした。
安子と稔の面影に包まれる神社の場面
るいと錠一郎が神社を訪れる場面は、ドラマ『カムカムエヴリバディ』の中でも特に情感豊かなシーンとして心に残ります。そこはかつて、安子と稔が共に過ごした思い出の場所。るいにとっては「過去を知る」ための重要な舞台でした。
静かな境内で、るいが手に取ったのは母・安子が残した英語の辞書。その辞書に触れた瞬間、るいの中で何かがほどけていくように見えます。自分がこれまで拒絶してきた母とのつながり——それは、実はずっと自分の中に根付いていたものだったのです。
錠一郎がそっと寄り添う中で、るいは両親の記憶と向き合い、「自分がどう生きたいのか」という問いに一歩ずつ近づいていきます。
この神社の場面は、単なる過去の回想ではなく、“今”を生きるるいにとっての再出発の場。親子三代にわたる物語の継承が、静かな祈りの中に込められていました。
戦後の時代を映す辞書と白パンの象徴性
第97話では、戦後という時代背景と、家族の記憶が重なる形で、「英語の辞書」と「白パン」が象徴的に登場します。この二つのアイテムは、登場人物たちの過去と未来をつなぐキーワードとも言える存在です。
辞書は、安子が戦後の混乱の中、英語を学ぶことで人生を切り開いていった証であり、その努力がるいやひなたへと継承されていくことを象徴しています。辞書を手に取ったるいが何を感じたのか、その表情には言葉では語られない重みがありました。
一方、白パンにまつわる会話も印象的でした。「これは白パン?」「GHQから来た粉で作った」などの言葉に、時代の香りが漂います。当時、配給や統制の中で手に入れたこのような食品は、生活の中の小さな希望であり、戦争を経た暮らしの変化そのものだったのです。
辞書と白パン——どちらも“日常に潜む歴史”を映し出す道具として使われ、視聴者に戦後という時代のリアリティと、それに立ち向かってきた人々の姿を想像させます。
キャストが織り成す重層的な物語の厚み
第97話は、深津絵里、オダギリジョー、川栄李奈、上白石萌音、松村北斗といった実力派キャストたちの存在が、物語の深みをより一層引き立てたエピソードとなりました。
るい役の深津絵里は、母・安子との記憶に触れて揺れる繊細な心の動きを、言葉少なに、しかし表情や沈黙の間で丁寧に表現しました。辞書を見つめる瞳、神社での静かな決意。それらはセリフに頼らずとも、視聴者の胸に訴えかける力を持っていました。
一方、錠一郎役のオダギリジョーは、るいに寄り添いながらも、決して前に出すぎない距離感を絶妙に保ち、彼女の心の旅を支える存在として描かれました。その包容力ある演技が、視聴者に安心感を与えます。
川栄李奈演じるひなたは、これまでの元気で朗らかな姿から一転、英語学習に悩みながらも新たな一歩を踏み出そうとする表情が印象的。視線や声色から、彼女の揺れ動く心が丁寧に描かれています。
過去の記憶として登場する安子と稔——上白石萌音と松村北斗が残した“家族の原点”のイメージが、今なお登場人物の心に息づいており、作品全体の厚みを生み出しています。
一人一人の演技が、三世代の記憶と感情を立体的に織り上げ、視聴者に多層的なドラマ体験を届ける。まさに、キャストの力によって物語の厚みがより一層際立った回でした。
英語講座に託された希望と再生の物語
『カムカムエヴリバディ』というタイトルにもなっているNHKのラジオ英語講座。この第97話では、その原点ともいえる「カムカム英語」の持つ意味が、ひなたの体験を通して改めて描かれました。
英語が「勉強」という枠を超え、敗戦直後の日本に生きる希望となったことは、平川唯一とみられる男性の語りからも明確に伝わってきます。彼が語ったのは、ラジオの前に集まるリスナーたちへの温かなまなざしと、元気を届けたいという一心でマイクの前に立ったという過去。
「無理せず、急がず、一日一日と覚えるだけでいい」——その言葉は、ただの勉強法ではなく、当時の日本人にとって“生き方のヒント”そのものでした。混乱と混迷の時代を生きた人々が、再び立ち上がるきっかけとしての「英語講座」。それは、今を生きるひなたにも通じるメッセージでした。
過去、るいもまた英語との関わりを通して人生を歩んできました。そして今、ひなたが同じように学び直そうとしています。英語講座は、三世代を貫く希望と再生の象徴なのです。
この第97話では、その普遍的なメッセージが再び鮮やかに浮かび上がり、視聴者の心にもやさしく語りかけてくるような余韻を残しました。
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