
朝ドラカムカムエヴリバディ第68話では、ひなたの英語学習が本格スタートします。ビリーとの出会いが生んだ新たな夢を追いかける中で、るいと錠一郎が支える家族の絆が描かれます。しかし、英語の壁は高く、挫折から学ぶひなたの成長が丁寧に描かれています。ラジオ英語講座がもたらす影響は大きく、ひなたの学習意欲を変えるきっかけとなりました。さらに、さよの接客シーンがひなたに与えた刺激や、英語テキストの発見がもたらした変化が見どころです。ビリーと回転焼きの温かい交流を通じて、ひなたは英語を学ぶことの意味を再認識します。家族が見守るひなたの挑戦を通して、昭和の英語教育と時代背景が浮かび上がる第68話。その展開を詳しく振り返ります。
- ひなたの英語学習の始まりと挫折、成長の過程
- ビリーとの出会いが英語を学ぶ動機になった背景
- るいと錠一郎がひなたを支える家族の絆と影響
- 昭和の英語教育とラジオ英語講座の役割
朝ドラカムカムエヴリバディ第68話の見どころ

ひなたの英語学習が本格スタート
ひなたの英語学習が、いよいよ本格的に始まった。
映画村で出会ったビリーの存在が、彼女の気持ちを大きく動かした。母・るいが提案したラジオ英語講座を活用し、英語を学ぶことを決意するものの、初めての授業で彼女は思わぬ壁にぶつかる。
朝6時45分、ラジオから流れる英語のフレーズに、ひなたは完全に圧倒された。講師の東郷初明が日本語で挨拶するものの、その後に続くネイティブスピーカーの英語は、まるで異国の言葉のように感じられる。
「何を言うてるか、全然わからへん…。」
開始早々、ひなたは意気消沈し、15分の放送が終わるころにはすっかり疲れ果てていた。
父・錠一郎は、**「出席カード」**を作成。ラジオ講座を聞くたびにスタンプを押すことで、学習の進捗がわかる仕組みを用意する。初めは半信半疑だったひなたも、「お父ちゃんがハンコを押してくれる」という仕掛けに少しずつ興味を持ち始める。
さらに、ラジオ講座のテキストをるいが買ってくれて、ひなたの学習意欲は少しずつ高まっていく。130円という手頃な価格で購入できることを知り、るいがひなたのために用意すると、彼女は「英語を学べる環境が整ってきた」と感じ始めるのだった。
ビリーとの出会いが生んだ新たな夢
ひなたの英語学習のモチベーションを大きく後押ししたのは、映画村で出会った外国人少年・ビリーとの交流だった。彼の言葉が理解できず、思うように会話ができなかった悔しさが、彼女の心に強く残っていた。
そんなある日、親友のさよがひなたの家を訪ねてくる。
「天神さんでビリーと偶然会ったんやて!」
「えっ!?ビリーと?」
「そう、それでビリーが『おいしい和菓子を食べてみたい』って言うてたから、ひなたちゃん家の回転焼き屋に連れてきたんよ!」
驚くひなたは、ビリーが自分の家の回転焼きを食べたがっていることを知り、思わず胸が高鳴る。しかし、実際に店にやって来たビリーに対応したのは、ひなたではなくさよだった。
「How much?」
「16 yen.」
「Are you sure?」
「Yes, of course. Thank you!」
流暢に英語で接客をするさよの姿を見て、ひなたは衝撃を受ける。自分も同じようにビリーと話したいのに、まだ英語が話せないことが悔しくてたまらない。
(私も、英語が話せたら…!)
この瞬間、ひなたの中で「英語を話せるようになりたい」という気持ちが、これまでとは違う形で芽生えた。憧れや興味ではなく、「英語を話せるようにならなければいけない」という強い決意へと変わっていったのだ。
るいと錠一郎が支える家族の絆
英語を学ぶことを決めたひなたを支えるのは、母・るいと父・錠一郎の温かい励ましだった。
るいは、ひなたが英語を学ぶ理由を理解すると、朝のラジオ講座を一緒に聞くことを提案する。子どもの頃、自分もラジオで英語を勉強した経験があったからだ。
「ひなた、英語は一日にして成らずやで。コツコツやることが大事なんや。」
母としての優しい言葉が、ひなたの心に響く。
一方、錠一郎は、学習を楽しいものにするために「出席カード」を用意し、さらに英語のフレーズを口に出してみせる。
「I’m good. Thank you. And you?」
「お父ちゃん、英語しゃべってるやん!」
「ギブミーチョコレート言ってた世代やからな。」
ひなたが思わず笑ってしまうような冗談を交えながら、家族全員でひなたを応援する体制が整えられていく。
そんなひなたの成長を見守る中で、るいは彼女が英語を学びたい本当の理由に気づく。
「ひなたが英語を勉強したいのは、ビリーと話したいからなんやね。」
るいはその気持ちを尊重しながら、ひなたの学習をできる限りサポートしようと決意する。家族の支えを受け、ひなたの英語学習は少しずつ形になり始めていた。
挫折から学ぶひなたの成長
英語を学ぼうと決意したひなた。しかし、実際に学習を始めると、想像以上の難しさに直面する。
ラジオ英語講座の初日、ネイティブスピーカーが話す英語はひなたにとってはまるで異世界の言葉。
「何を言うてるか、全然わからへん…。」
15分間の授業が終わるころには、ひなたはすっかり疲れ果てていた。
学校へ行く前に勉強すること自体が初めての経験で、英語の難しさに加え、朝早く起きることも負担だった。
それでも、ひなたは英語学習を諦めようとはしなかった。彼女の中には、「ビリーと話したい」という強い気持ちがあったからだ。しかし、すぐに上達するわけではなく、最初の数日はほとんど理解できないまま時間が過ぎていく。
そんなひなたを支えたのは、父・錠一郎の励ましだった。
「継続することが大事やで。1日で全部わかるようになるわけやない。」
そして、出席カードのスタンプが、小さなモチベーションとなる。
「毎日続けたら、カードがいっぱいになるで!」
さらに、ひなたはラジオ講座のテキストがあることを知る。
「テキストがあれば、ラジオの英語が書いてあるんや!」
母・るいが用意してくれたテキストには、番組内の英語フレーズが載っており、それを読むことで、少しずつ単語の意味がわかるようになってきた。
しかし、英語の習得はそう簡単ではない。実践の場に出ると、まだまだひなたの英語は通用しなかった。
ビリーが店に来た際、英語で接客したのは親友のさよだった。
ひなたはそのやり取りを見ながら、「自分も話したいのに、何も言えない…」と悔しさを覚える。
(こんなはずじゃなかった…英語が話せるようになるまで、まだまだ時間がかかるんや…。)
一度は挫折しそうになるひなた。
しかし、ビリーとの会話を夢見て、「今やめたら、きっと後悔する」と再び前を向く。
「明日も、頑張ろう。」
ひなたの成長は、ここからが本番。
英語を学ぶことは簡単ではないが、一歩ずつ進むことで、彼女の未来が少しずつ変わっていく。
ラジオ英語講座がもたらす影響
ひなたにとって、ラジオ英語講座は単なる「勉強の道具」ではなかった。それは、新しい世界へとつながる扉だった。
ラジオの英語講座の存在は、1970年代の日本においても重要な役割を果たしていた。
この時代、テレビよりもラジオが身近な学習ツールとして活用されており、特に語学学習においては、毎朝放送される英語講座が多くの学習者を支えていた。
ひなたの母・るいも、子どもの頃にラジオを聞いて英語を学んでいた経験がある。
「ラジオで勉強するのは、発音を身につけるのにちょうどいいんよ。」
ラジオ英語講座の最大の特徴は、「聞いて、真似して、口に出すこと」。
ひなたは最初、意味がわからず戸惑っていたが、繰り返し聞くうちに少しずつ耳が慣れてきた。
「英語は、まず聞くことからや。」
また、講座では簡単な会話からスタートし、徐々にレベルアップしていく構成になっている。
「最初はわからなくても、続けていれば少しずつ慣れるんやで。」
英語のリスニング能力は、日々の積み重ねが重要。
ひなたも、最初は全く理解できなかったが、毎日続けることで、単語の一部が耳に入ってくるようになってきた。
さらに、ラジオを通じて、英語の発音を自然に学ぶことができる。
ひなたは、「聞いて発音する」という学習方法が、英語のリズムをつかむのに役立つことに気づき始める。
しかし、ラジオ講座には欠点もある。
それは、「自分が正しく発音できているかどうか、確認する手段がないこと」だった。
そんなひなたの学習を支えたのが、父・錠一郎の存在だった。
錠一郎は、ラジオのフレーズを一緒に口に出し、ひなたに英語の楽しさを伝えようとする。
「I’m good. Thank you. And you?」
最初は「お父ちゃん、なんでそんなに英語しゃべれるん?」と驚いていたひなたも、少しずつ声に出すことの大切さを実感する。
また、ラジオ講座がもたらしたもう一つの影響は、家族との絆だった。
朝のラジオ英語講座を通じて、るいと錠一郎はひなたの学習をサポートし、家族での会話も増えていく。
「家族みんなで英語を勉強するって、なんか楽しいな。」
そう思えるようになったことが、ひなたにとって大きな変化だった。
ラジオ英語講座は、単なる学習手段ではなく、ひなたの未来を広げる可能性を秘めていた。
この新しい挑戦が、彼女の人生にどんな影響を与えていくのか—。
ひなたの英語学習の旅は、まだ始まったばかりである。
朝ドラカムカムエヴリバディ第68話を深掘り

さよの接客シーンがひなたに与えた刺激
ひなたが英語を学ぶ大きなきっかけとなったのは、ビリーとの出会いだった。しかし、その思いがさらに強くなったのは、親友・さよの接客を目の当たりにした瞬間だった。
ビリーが回転焼きを買いに大月家の店を訪れたとき、対応したのはひなたではなく、さよだった。
ビリーは当然のように英語で会話をし、さよはそのやり取りをスムーズにこなしていた。
「How much?」
「16 yen.」
「Are you sure?」
「Yes, of course. Thank you!」
流暢な英語でやり取りをするさよの姿に、ひなたは驚きと焦りを感じた。
(すごい…!なんでこんなにスラスラ話せるんやろ…。)
これまで「英語を話せたらいいな」と漠然と考えていたひなた。しかし、さよが実際に英語を使って外国人と意思疎通しているのを見たことで、「英語が話せるって、こういうことなんや!」と実感した。
その一方で、自分が何もできないことに悔しさも込み上げてくる。
(私も、ビリーと話したかったのに…。)
ただ憧れるだけではなく、「ちゃんと英語を勉強しなければ」と現実を突きつけられた瞬間だった。
ひなたの中で、英語学習へのモチベーションが大きく変化したのは、この出来事があったからこそだった。
英語テキストの発見が変えた学習意欲
ラジオ英語講座の初日に挫折しかけたひなた。しかし、新たな希望を見つけたのは「英語テキスト」の存在だった。
「ラジオの英語講座のテキストには、番組内の英語フレーズや日本語訳が載っている」
母・るいが教えてくれたこの事実に、ひなたは驚いた。
「えっ、そんな便利なものがあるん?」
それまで、ラジオの英語は聞くだけのものであり、聞き取れなければ終わりだと思っていた。しかし、テキストがあれば、文字として確認できる。
「これやったら、何て言ってるかわかるやん!」
さらに、価格は130円と手頃で、手に取った瞬間にひなたの英語学習への意欲が一気に高まった。
テキストを開き、ラジオで流れていたフレーズを確認すると、知らない単語も多かったが、「ちゃんと理解できるかも」と思えた。
(もしかして、ちょっとずつでも読んでいけば、英語って覚えられるんやろか…?)
英語を「耳で聞くだけ」から「文字として確認する」という方法に変えることで、ひなたの学習に対する向き合い方が変わった。
「これがあれば、もうちょっと頑張れそう!」
ひなたにとって、英語テキストの発見は、学習の可能性を広げる大きな転機となったのだった。
ビリーと回転焼きの温かい交流
ビリーがひなたの家の回転焼きを食べてみたいと言ったことがきっかけで、ついに彼が店を訪れた。
ひなたにとって、この出来事は単なる「外国人のお客さんが来た」ということ以上の意味を持っていた。
それは、「憧れのビリーと英語で会話できるかもしれない」という期待だった。
しかし、実際に店で接客したのは、ひなたではなく親友のさよ。
流暢に英語を話すさよとビリーのやり取りを見て、ひなたは自分の未熟さを痛感する。
それでも、ビリーが回転焼きを受け取り、嬉しそうに「Thank you」と言った瞬間、ひなたは少しだけ温かい気持ちになった。
(ビリーがうちの回転焼きを食べてくれるんや…!)
「またね!」と手を振るビリー。
彼が日本にいる間に、もう一度話すチャンスはあるのかもしれない。
この日、ひなたは「英語を話せたら楽しいことが増える」ことを実感した。
同時に、「今のままではダメだ」と奮い立つきっかけにもなった。
ビリーと回転焼きがつないだこの小さな交流は、ひなたにとって英語を学ぶ大きなモチベーションとなったのだった。
家族が見守るひなたの挑戦
ひなたの英語学習は、彼女の努力だけでなく、家族の支えによって成り立っていた。
母・るいと父・錠一郎は、娘の新たな挑戦を温かく見守りながら、さりげなく背中を押し続ける。
英語に苦手意識を持っていたひなたは、ラジオ英語講座の初日から挫折しかけた。
「何を言うてるか、全然わからへん…。」
英語のスピードについていけず、早朝からの勉強に疲れ果てる彼女を見て、るいは「焦らず続けることが大事」と優しく励ます。
一方、錠一郎はひなたを楽しませるために、「出席カード」を作成。
ラジオを聞くたびにハンコを押すというゲーム感覚の仕組みが、ひなたのやる気を引き出した。
また、彼女の努力を見守るだけでなく、家族が積極的に英語に関わることで、一緒に学ぶ環境を作り出していく。
錠一郎は「I’m good. Thank you. And you?」とラジオのフレーズを真似てみせる。
するとひなたは驚き、「お父ちゃん、なんで英語しゃべれるん?」と興味を持つ。
「ギブミーチョコレートを言ってた世代やからな。」と冗談交じりに返す錠一郎に、ひなたは笑いながらも英語に対する抵抗感を少しずつ薄れさせていく。
そんな中、るいはひなたが英語を学ぶ本当の理由に気づく。
「ひなたが英語を勉強したいのは、ビリーと話したいからなんやね。」
母として、娘の恋心にも気づきつつ、「英語はただの勉強じゃなく、夢や未来につながる力」だと教えたいと考えたるい。
彼女はこれからもひなたをサポートし続ける決意を固める。
ひなたの挑戦は、彼女一人のものではなく、家族全員で作り上げる物語となっていた。
昭和の英語教育と時代背景
ひなたが英語を学ぼうとする時代、1970年代から1980年代にかけて、日本の英語教育は大きく変化しつつあった。
戦後の日本では、英語は**「国際社会に対応するための重要なスキル」として扱われるようになり、学校教育だけでなく、NHKのラジオ英語講座が広く普及していた。**
この番組は、ひなたの母・るいが子どもの頃にも活用されていたほど、長い歴史を持っている。
当時の日本では、英語を話せる人はまだ限られており、外国人とのコミュニケーションができることは特別な才能とされていた。
ひなたの親友・さよがビリーと流暢に会話できたことも、その希少性を物語っている。
また、この時代には**「受験英語」が主流であり、学校では文法や単語の暗記が重視される一方、リスニングやスピーキングの訓練はほとんど行われていなかった。**
そのため、ひなたのように実際に英語を話そうとすることは、当時の日本社会では新しい挑戦だった。
さらに、1970年代は日本が国際化の波を受け、外国人観光客や留学生が増え始めた時代でもあった。
京都の映画村には外国人観光客が訪れ、ビリーのような少年と出会うことも珍しくなくなっていた。
こうした時代背景の中で、ひなたはラジオ英語講座という「聴く英語」の学習法に出会い、英語を「受験のための科目」ではなく、「実際に使える言語」として学ぼうとし始める。
この流れは、やがて1980年代以降の日本における「実践的な英語教育」の基盤へとつながっていく。
ひなたの挑戦は、時代の変化を象徴する出来事でもあったのだ。
コメント